2023年7月吉日
巻頭言-会長就任ご挨拶-
吉田敦彦(大阪公立大学)
木を木と呼ばないと
私は木すら書けない
木を木と呼んでしまうと
私は木しか書けない
(谷川俊太郎「木」より:『うつむく青年』サンリオ所収)
「木をみて森をみない」ことを戒めるのは簡単なこと。むしろ「木すら書けない」と「木しか書けない」との間のディレンマを、意識的に引き受けることの方が、より大切なことなのかもしれません。
6月末の研究大会時の総会で発足した新理事会にて、新会長に選任されました。新しい理事会は、若い世代が大半を占めます。本学会ならではのミッションやスタンスをあらためて確かめ合い、次世代にバトンを受け渡す大切な3年間を、皆さまと共に歩ませていただきます。中川吉晴・青木芳恵副会長ともども、どうぞよろしくお願いいたします。
着任するにあたって、「次の10年、20年を見通して、日本学術会議登録団体への申請を契機とした、学会の時代的公共的意義の再確認と次世代への持続可能な継承」という基本方針を述べました。外形的な要件は満たしていますので、会員からも要望が出ていた学術会議登録に、適切な時期を見計って踏み出します。その際、次の2つの間のディレンマを、どちらにも割り切ってしまうことなく引き受けること、それを本学会らしいスタンス、アイデンティティとしたいと思います。
一つは、今回の大妻女子大学での「アート」をテーマにした研究大会で、多くの参加者が「他の学会では体感できないような」と表現したクオリティです。ハープ実演、舞踏、ヴィジュアルアートなど、心と身体とを包み込むホリスティックなアプローチによる講演やセッションがふんだんに盛り込まれていました。久しぶりの全面的な対面開催だったこともあり、あらためて、本学会が大切にしてきたものを確かめ合いました。このクオリティを、どのように形容すればよいか。ここでは仮に「アート性」と呼んでおきます。
他方、もう一つが、「学術性」です。学術という真理の探究と、それをできるかぎり普遍性(相互主観的な共有可能性)の高い方途で――先行する人類の研究蓄積も踏まえつつ――繊細に記述・表現していくこと。今大会の「アート・ベイスド・リサーチ」を主題にしたシンポジウムでは、まさに「アート性」と「学術性」の排他的ではない関わり方を探りました。難題です。学会の査読誌のあり方も視野に入れれば尚更です。関連する学会でも、まだ明確な解を得られていないチャレンジでしょう。成田喜一郎前会長と守屋治代新編集委員長が中心となるチームで、中期的に取り組んでいきたく思います。
「木」を研究対象としなければ、私たちは研究できないが、それを対象化して言語的に分節した途端に、世界は閉じて全体性を喪う。ホリスティック・アプローチの基本ディレンマと向き合いながら、ケアや教育といった人の営む世界の生きた全体性にできうるかぎり迫りたい。その世界と出会い、ほぐし、ひらいていきたいと願っています。
「宗教と芸術そして科学は、今はまだその価値が分離されたままですが、いつまでもそうであるわけにはいきません。人類にとって現在最も重要な課題は、科学を倫理的な価値と結びつけ、人類の未来を脅かしている、自ら墓穴を掘るような危険を避けることにあります。」――ヤン・Ch・スマッツが『ホーリズムと進化』を公刊して5年後、定評ある「英国学術協会」の100周年記念式典で会長に就任した際の講演(1931年*)より。
(*吉田敦彦『ホリスティック教育論』日本評論社237頁に所収)